大学と短大で学び舎は分かれたけれど、彼女とはまだ付き合っていた。
少し経って短大を先に卒業した彼女は僕より二年早く社会人になった。僕はなんだか取り残された気分で、彼女の愚痴を今いるような飲み屋でうんうんと頷くことしかできなかった。スーツの彼女と普段着の僕。何を言えるというのか。彼女の頼んだカルーアミルクのグラスの中で、氷が小気味よい音をたてる。
彼女は外ではさばさばした性格だったので、OL特有のコミュニティは居心地が悪いようだった。
「あの人達、悪口以外しゃべること無いのかな。しかも今話してた人が居なくなるともうその人の悪口始まるのよね」
居心地が悪いといっても彼女は強い人で、笑顔で全てを受け流しているであろうことは想像に難くなかった。
そんな彼女が僕にだけは愚痴ってくれるのは、それはそれで嬉しいことだった。
でも僕は彼女と対等になりたかった。
もちろん対等じゃないなんて僕が勝手に思っていることで、彼女はそんなこと考えたりはきっとしていない。僕の劣等感を手から冷やしてくれるみたいで、グラスに付いた水滴が心地よかった。
彼女に並ぶにはどうしたらいいか、僕なりに考えて、今日、それを実行しようと思っていた。
「あのさ、今日ってさ、僕の就職祝いじゃない」
「そうだね、頑張ったね、ほんとおめでとう」
「それでね、僕は君に伝えたいことがあるんだ」
きょとんとした顔で彼女はなあにと聞いた。
「僕と結婚して欲しい」
彼女の目を真っ直ぐ見て僕はそう言った。これがけじめだと思ったのだ。
僕の中での予想はこうだ。
僕のプロポーズを受けて彼女は普段とは全然違う様子で驚いたり泣いたり感動したりして、飛びついて来たりして、そうしてプロポーズを受け入れるのだ。
けれど実際の彼女はそうではなかった。
いつもと変わらない様子で、そう、と言うや、帰るねと立ち上がった。
「えっと、あのさ、プロポーズの返事は……その……どうかな」
その言葉に返事するように彼女が僕の顔を見ると、そのままぐらっとよろめいた。慌てて僕が彼女を抱きかかえると、彼女は思い切り顔をしかめた。
「いったぁ……」
どうも彼女はよろけた時に足をくじいたようだった。
立つのもやっとの彼女はよろよろと、それでも帰路につこうとする。肩を貸しながら支払いを済ませ、僕は彼女を自宅まで送ることにした。途中店員がタクシーを呼びましょうかと気を使ってくれたが、彼女の方がそれを断った。彼女の家はすぐ近くなのだ。
店を出て肩を貸して歩きながら、僕はとても暗鬱な気分になっていた。
彼女は結局、僕のプロポーズに答えてくれていないのだ。もしかして僕のことはもう好きではないのだろうか。
足を引きずる彼女の顔を見ることができない。そんな彼女は少し辛そうに小さい吐息を漏らす。
「あ、おんぶしていこうか」
その発想に至らない自分に呆れる。足をくじいた女性を連れ回すとはなんたることか。
彼女は最初拒否しようとしたが、くじいた足を数回踏みしめ、最終的に僕の提案に乗ってくれた。
彼女は羽のように軽かった。そして触れるスーツ特有の硬さの残る生地は、僕と彼女の差を感じさせた。僕は悲しくなって言った。
「やっぱさ……その……僕のプロポーズ、迷惑だったかな」
僕の背中でため息をつく気配があった。やっぱり呆れられているんだ。そう思った。
「あんたってほんとにバカね」
そう言うとそれまで遠慮がちに背に乗っていた彼女は、ぎゅっと僕の背中に密着してきた。
「感じる? 私の心臓。お酒でも運動不足でもないわよ?」
伝わってきたのは彼女の熱と鼓動だった。
「もー、あんな所でプロポーズだなんてどうしていいか分からなかったわよ。でもね、うん、私もあんたが好きよ」
彼女の言葉に僕の心臓が跳ねる。
鼓動は思うよりも正直で、僕もまた、お酒でも運動不足でもない拍動に顔を赤くしたのだった。
了